猫とワタシ

極北 私がいなくても、あなたがいれば

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この記事のみを表示する「アナログガール」(冒頭部分)

「アナログガール」

 短編集「アナログガール」の「コクー」、冒頭部分です。

  amazonで好評発売中。

   「アナログガール」


             1

 中西希は美尾圭一郎と寝た。
 友だちの田中栞の彼氏だったが、理性では止められなかった。美尾のことが好きだったし、したかったからだ。それが正しいことだったのか、どうかはわからない。希はいつも思っていた。人生に正しい選択などあるのだろうか、と。正しいことがない、うそのこの世界で。

「犯罪者」
 美尾圭一郎が唐突にいったので、中西希は心臓をぎゅっと握られたような気がした。自分のことをいわれたのか、と思ったからだ。性行為が終ったあとだった。場所は希の自宅で、美尾はベッドのうえで希の肩に腕をまわし、ときどき耳たぶをいじっていた。美尾は長身で痩せていて、彫りが深く端正な顔立ちをしていた。とくに瞳がきれいだった。
 こんな瞳を持っているのは、きれいな心が栄養分になっているからだ、と希は思った。
 おれはさ、と美尾はつづけた。「いま初めていうけれど、犯罪者の息子なんだ。おれのおやじは大手銀行の支店長だったのだけれど、公金横領が発覚して懲戒解雇になった。一億三千万だ。ギャンブルの穴埋めにつかったんだってさ。金額が金額だったものだから、新聞に載ってしまった。おふくろとは離婚、出所後は失踪。それまでおれは優等生で、勉強ができるとちやほやされてきたのに、世間は一転、手のひらをかえしたように犯罪者の息子と呼んで、石を投げてきた」
 知らなかった。共感。共鳴。希の胸にぽっと灯がともる。
「おれには未来がないと実感した。嫌いになったか?」
 希は首を左右に振った。
「私も似たようなものだから」
 それは事実だった。希は犯罪者の娘であり、両親を惨殺された犯罪被害者でもあった。
「犯罪者の家族は社会から疎まれ、蔑まれる。おれが救われたのはそういうひとたちが集まって、おたがい励ます会があったからなんだ。精神的な点滴というかな、それまでぐちゃぐちゃだった頭がすっきりとして楽になったんだ」
 初耳だった。
「希も入会してみないか?」
「どうしようかな」
 希は口では迷っているふりをしてみたが、じつはそんな気はまったくなかった。
 希は群れるタイプの人間ではなかったからだ。口にしなかったのは美尾に変人だと思われて、きらわれたくなかったからだ。希の周辺で起った殺人事件について美尾に告白はしていなかったが、田中栞が知っていたので、話したのだろうと希は思った。栞は有名国立女子大の学生で、希とは小学、中学、高校といっしょだった。栞の父親も、犯罪とは無縁ではなかった。警察官だったが、栞が中学二年生のとき、警察署内の不適切な対応を一般人に責められ、官舎から投身自殺をしたのだった。
「もちろん、無理にとはいわない」
 美尾はおもむろに上半身だけ起きあがると、希のあごに人差し指をあて、ちからをこめて、くいっと自分のほうにむかせた。唇をあわせると、唾液を含んだ舌をのばした。希もこたえるように舌を舐め、美尾の背中に腕をまわした。
「どうして、私なの?」
 唇を離すと希は尋ねた。
「フリマで知りあったときから好きだった」
 美尾とは栞が出店していたフリーマーケットで、知り合ったのだった。希は栞を毎回、手伝っていたので、こういう関係になるまでは、軽くあいさつをする程度だった。
「怒り狂うよ、栞。きっと」
 希はいった。
「シット」
「Shit?」
「いや、嫉妬深いからな、意外とあいつは。でも気にしなくてもいい。おれが何とかする」
「本当に?」
「ああ。本当だ」
 それは栞と別れるということなのだろうか?
 栞は希にとってとても大切な人間だった。
 希を最後まで励まし、いじめからかばってくれた唯一の人間だった。高校のとき、両親の事件のせいで、希はいじめられた。毎朝、希の机のなかに蛙の死骸が投げこまれた。やがていじめはエスカレートし、のこぎりで切り落とされた猫の首が机のなかからごろんところがり出てきた。
 クラスじゅうが騒然となったが、犯人は判明せず、希は退学した。

「栞は美人で頭もいい。お世辞じゃなく欠点がない。私のどこがいいの?」
 穴あきチーズのように欠点だらけの、と希は思った。
「巨乳で、つんとしたおっぱいをしているところかな」
「え?」
「うそだよ。かわいいからさ」
 美尾は目尻をさげ、茶目っけたっぷりに微笑すると、べえーっと長い舌を出した。希は身長155センチで、痩せてすきっとした体型をしていた。髪の毛が長く、前髪をまゆ毛の上できれいに切りそろえていた。色白で、立体感があって、鼻筋が整っていた。醸し出す陰鬱な雰囲気に隠されていたが、じつは正統派の美少女だったのだ。
「まったくもう」
 希は怒ったふりをして、美尾におおいかぶさった。そのままもう一回、性交に突入した。それが終ると、希は急降下したようにすとんと眠りに落ちていった。

 翌朝、冷蔵庫のなかにあるものをかき集めて、希は朝食をつくった。ハムとチーズ、サラミとマヨネーズをはさんでつくったサンドイッチ。そしてペーパー・ドリップでいれたコーヒー。
 美尾はそんな朝食を美味しそうに食べると帰っていった。
 希は自己嫌悪の画鋲に刺されながら、会社にいった。雑居ビルの一室に事務所をかまえるIT関連の会社で、従業員は数十名だった。

 数日後、田中栞のママから切迫した声で、電話がかかってきた。
「栞が行方不明なの」
 連絡はありません、とこわごわと希は返事をした。それは事実だ。理由や原因にも、思い当たりませんと希はつづけたが、これはうそだった。希が栞の彼氏の美尾とセックスしたタイミングでそうなっているのだ。希と美尾のことが関係していないはずはない。ただし、希と過ごした一晩を美尾が栞にばか正直に告白するとは思えなかった。それについてはかなりの自信があった。美尾がそうまでして自分を選ぶはずはないという自虐的な自信だ。
「栞ちゃんから電話があったら、すぐにご連絡します」
 希はそうこたえ、そのあとで栞の携帯に電話をかけてみた。かからなかった。
 希は美尾を思い出して、数日まえに教えてもらった携帯電話の番号にもかけてみたが、つながらなかった。
 鬱屈していても始まらないので、希はターンテーブルのうえにレコードを置いて、針を載せた。テクノ・ミュージックの12インチシングルレコードだ。希はテクノやハウス、レゲエなどのクラブ・ミュージックが好きだった。それもダウンロードなどの音楽配信やCDではなく、アナログレコードの音で聴くのが好きだった。
 渋谷にある雑居ビルの二階に、テクノやハウス、レゲエのレコード専門ショップがあり、よく買いにいった。店のドアを押すとき、どきどきとわくわくが入り交じった、華やかな時間を感じた。民俗学でハレとケという用語があるが、レコードショップでレコードを捜しているときは希にとってハレだった。買ってきたばかりのレコードに針を落とす瞬間にもハレを感じた。時間が輝く瞬間、ほとんど神聖な瞬間とでも呼びたいくらいだった。
 希は瞳を閉じて、耳をひらいた。
 希はテクノのクラブにもよく通っていた。クラブで踊っているときは希にとって文字通りのお祭り、正しくハレの時間だった。心地よく踊っていると、かつて感じたことがない、喜びと満足感がわきあがってくるのだった。ふたたび自分がそんな感情を持てるなんて。けっして想像もしていなかったことだ。生きる歓び。両親の事件以来、壊れてしまったもの。大きな穴があいて、一滴残らずこぼれ落ちてしまったと思っていたもの。二度と取り戻せないと思っていたもの。希のなかで、その何かがふたたび埋められつつあるのを感じたのだ。ありがとう、音楽。希は心の底からそう思った。
 酒を飲めないのにコンビニで大量に缶ビールを買ってきて、性急に胃のなかに流しこんだ。
 三十分後、トイレに駆けこむと、暗い穴にむかって吐いた。

 翌日は日曜日だった。ずっと眠っていた。ベッドのなかで。断崖からころげ落ちたように。目が覚めると、午後二時になっていた。カーテンをすかして射しこむ太陽の光がまぶしかった。
 奇妙なことがあった。


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